7月10日は納豆の日だったらしいですよ、奥さん!
つうことで、水戸駅が納豆の聖地かどうかは分からんけど、水戸駅南口に水戸の納豆記念碑が建てられますた。7月10日には除幕式も行われたとか。
【各紙掲載記事】
水戸駅前に「納豆記念碑」…黄門様と一緒に街盛り上げて
(2008年7月10日14時15分 読売新聞)
まんま納豆の記念碑 聖地・水戸「日本一」奪還誓う
(2008年7月11日9時3分 朝日新聞)
粘り強く頑張るぞ 水戸納豆記念碑お目見え
(2008年7月11日 東京新聞)
水戸駅前に納豆の銅像 7月10日は「納豆の日」
(2008年07月10日 12:41 スポニチ)
茨城の納豆アピール/水戸に「納豆記念碑」
(全国郷土紙連合)
記念碑そのものは7日の深夜に据え付けられたらしく、知り合いの目撃情報を元に、8日の仕事帰りに水戸駅へ立ち寄ってみました。かなり残念なデザインらしく、その姿が気になります。しかしカバーされていたので、見ることはできませんでした。

テントに囲われてます。立ち入り禁止!

中はブルーシートで簀巻き状態。
除幕式は7月10日の11時からだったので、さすがに仕事を抜け出して行くわけにもいかず。
その代わり出勤前に寄ってきました。

納豆の日の立て看が。

除幕式は11時から。
先着200名様のプレゼントはなんだったのだろう?

除幕式直前のチラリズム。
すき間から残念感がにじみ出ています。
一日おいて12日に、シートを剥がされた真の姿を見るべく、また仕事前に立ち寄ってみました。

正面から見るとこんな形ですた。

右から。

左から。

遠目から。

納豆の部分をアップで。

側面には建立記念のプレートが。
デザインは茨城県工業技術センター。

水戸の納豆の由来が書いてあるプレートもあります。
以下、全文
水戸の納豆の由来
源義家が後三年の役(1083年)のとき、奥州に向かう途中、水戸市渡里町の一盛長者の屋敷に泊まったおりに馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができたという伝説があります。
水戸の納豆が有名になったのは明治時代、水戸駅ホームで土産として販売されるようになったからです。戦後は全国で茨城の納豆が販売されるようになりました。
何というか、期待を裏切らない残念感であります。少なくとも藁納豆には見えません。
よくこのデザインでOKが出たなぁ。
この記念碑、銅製ですがブロンズ像などとは違い、銅板を加工して作られたものです。そのせいか形状に立体感が乏しく、モチーフとなった藁納豆っぽさに欠けてます。なんつうか、藁と言うよりは大木みたいだし、納豆はまさに金の粒。
それよりも、藁を剥いたところの形が、なんとなくエロい感じがするのは気のせいですか?
いずれにせよ、記念碑を建てた茨城県納豆商工業協同組合の思惑とは別方向で注目を集めそうな気がします。
個人的には、みうらじゅん氏に見てもらいたいですね。
そしてタモリ倶楽部で紹介されればベストなんですが。
あるいはシンボルずでも可。
【追記】
デイリーポータルZのちょっと見てきてに投稿したら、編集部おすすめの場所に選ばれました。ひゃっほーい。
最近のコメント